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あしあと

    阿見町名所百選 阿見小学校地区(その2)

    • [2015年1月7日]
    • ID:818

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    阿見小学校地区(その2)

    阿見小学校地区

    町役場をはじめ、中央公民館、図書館、大学病院、国・県立大学など公共施設の集中するこの地域は、阿見町の中心部です。
    国道125号バイパス付近にはショッピングセンターなどの商業施設も多く、活気あふれる郊外型商業地域でもあります。
    そんな中にもひっそりと歴史は息づき、昔の人の功績をたたえる碑や胸像が地域住民の手によって守られています。
    普段は見過ごしているかもしれないそんな小さな名所を、もう一度訪ねてみませんか。

    阿見小学校地区 名所百選(その2)

     

    50 大日塚   51 善照寺   52 若栗の八坂神社   

    ※各項目に貼られている地図は、名所百選の看板の位置またはその付近を示しています。

    ※名所百選はわかりにくいところにあるものがあります。詳しくは生涯学習課へおたずねください。

     

    50 大日塚

    大日塚

     

    【西方/名所百選No.28】

    若栗の中央公民館の北方300メートルの住宅地に囲まれた畑の中にある、高さ2メートルほどの塚が若栗大日塚です。

    塚上の石仏群のうち、寛永2年(1625)の記銘のものがありますが、塚の頂上にある石祠はさらに古く、文禄~元和のころの鎮座と推定されます。

    湯殿山本尊の大日如来に対する信仰は、常陸国を中心に近世の初めに関東・東北南部に大流行し、近世の石仏としても、その古さ、数量ともに全国的に知られる著名な石仏となっています。

    この信仰は、湯殿山や羽黒山の修験(行人)が布教に従い、村内に古くからある日待、月待などの民俗信仰とも集合し、当時戦乱から開放されて五穀豊穣、村内安全を願う村落共同体の志向と合ったため、村々に迎えられました。

    現在、寛永期以前のものだけでも町域に6基が残っています。

    塚のかたわらには大日堂があり、湯殿山の行人が土着して代々住んでいました。

    大日祭の前夜には村人のおこもりがあり、翌日の大日祭は村民全員が参加し、神官・出家・行人の司祭で祭礼を行ったものです。

    この形態は、民俗信仰としての「祭り」に近いものですが、大日祭は各地で変化を重ねながら衰退してしまいました。

    若栗の大日塚の西には、『嘉兵衛と狼』の伝説で名高いとげ抜き地蔵尊があります。

     

    51 善照寺

    善照寺山門

    山門

    善照寺 モチノキ

    モチノキ

     

    【若栗北/名所百選No.1】栗原1301

    天樹山光明院善照寺は、若栗字内出後にある天台宗の寺院です。

    南北朝時代の明徳元年(1390)、伝教大師法孫13世明快大僧都の弟子である良諄法印(りょうじゅんほういん)の創建で、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)です。

    寺はかつて阿見町降木(現在の富士団地)にあったといわれており、若栗宿を経て江戸時代初期の貞享2(1685)年より現在の地に座しています。

    歴代住職の石塔のなかでも最大の「権大僧都堅者法印乗賢(りっしゃほういんじょうけん)」師が中興の祖と推測されます。

    江戸時代末期の文政2年(1819)、善照寺は火災により焼失してしまいました。

    焼け残った山門は、阿見町の文化財に指定されており、解体修理の際に発見された墨書から、江戸中期の享保9年(1724)に建てられたことがわかっています。

    切妻造の四脚門で、柱根元の礎石は室町期のものと推定され、装飾的でありながら禅宗様の要素もみられるつくりです。

    境内にあるモチノキも、このときの火災から奇跡的に皮一枚で焼け残ったものです。

    孝慧代慶応2年(1866)に仮本堂が建てられ、現在の本堂や不動堂などは、前住職(43世)菅野澄海師により平成2年に建立されたものです。

    年中行事として、節分会、花祭り、護摩供、施餓鬼会等の法要や朝参会、写経会、座禅会、除夜の鐘など、さまざま開催されています。

     

    52 若栗の八坂神社

    若栗の八坂神社

    八坂神社

    若栗八坂神社 狛犬

    狛犬

     

    【若栗宿/名所百選No.11】

    当社は元亀元年(1570)の創建で、祭神は健速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)となっていますが、古くは除疫の神である牛頭天王(ごずてんのう)とされ、本殿は一間社流造り和様建築物で正徳3年(1713)建立の町指定文化財です。

    創建のいわれについては伝説があります。

    むかしお菊という娘が「どうめき」という場所へささげを採りに行った時、川上から天王様のご神体が流れてきたので、拾い上げておまつりしたのが若栗の天王様のはじまりです。

    これは、荒川本郷の天王様を流したものだといいます。

    若栗の祇園祭りのかけ声の中で、「おきくばいのん、ささげばいのん」という言葉があるのはその名残りだ、ともいいます。

    どうめきという地名は、急流の川音(どうどう)の擬声からきた地名といわれています。

    桂川にかかる若栗から西に向う旧道の橋の下の流れは、かつて白泡の目立つ急流であって、水底には灯明皿や古銭が多数発見されたといいます。

    ここがどうめきの聖地に間違いないでしょう。

    荒川本郷の天王様は若栗に引渡されて、この聖地で再生の儀式が行われたものと考えられます。

    お菊はこれに関与した巫女であるとも読みとれます。

    このように、天王様がある村から他の村に受け渡された事実を、「水上に流す~拾う」という形で伝説化する例は、島津の八坂神社にもあり、古い八坂神社創立の様式でした。

     

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