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阿見町名所百選 阿見第一小学校地区(その1)

[2015年1月7日]

阿見第一小学校地区(その1)

阿見第一小学校地区

国道125号線沿いに霞ヶ浦を望むこの地域には、レイクサイドタウンとして広がる小高い住宅地の中に、古墳群から名木、予科練記念館などさまざまな名所が点在しています。
霞ヶ浦名産のレンコンを作っているハス田に囲まれて湖岸をめぐる道は『関東ふれあいの道(予科練ゆかりのみち)』にも選ばれており、帆掛け船やマリンスポーツのカラフルな帆を眺めながらのんびり歩いて回るのもいいものです。

阿見第一小学校地区 名所百選(その1)

 

40 廻戸貝塚   41 旧大室の道祖神と曙のグミ 42 水神宮から見た霞ヶ浦   43 予科練の碑と予科練記念館  

※各項目に貼られている地図は、名所百選の看板の位置またはその付近を示しています。

※名所百選はわかりにくいところにあるものがあります。詳しくは生涯学習課へおたずねください。

 

 

40 廻戸貝塚

廻戸貝塚

 

【廻戸/名所百選No.15】

廻戸貝塚は霞ヶ浦を見下ろす台地の斜面部にみられ、縄文時代中後期のものです。

約30メートルにわたって、主としてハマグリ、アサリ、赤ニシ、カキなどの貝殻がみられ、土器片や石器類、骨片等も表面に散布しています。

縄文時代にここに住んだ人たちが食した貝類の殻や生活用品の断片が発見され、当時の生活の具体相まで知ることができます。

隣接の「福祉センターまほろば」付近は、中世の廻戸城跡です。

城の遺構は舌状台地の先端まで続き、十握(とつか)神社や稲荷社、当貝塚も中世には城内であったと思われます。

城郭としてはやや小規模であり、歴史も明らかではありませんが、天正年間には、廻戸は土岐大膳大夫(ときだいぜんだゆう)の臣、高野次郎)八郎の知行地(年貢の徴収を認めた土地)であった記録が残っています。

 

41 旧大室の道祖神と曙のグミ

曙のグミ

曙のグミ

旧大室の道祖神

旧大室の道祖神

 

【曙南/名所百選No.32】

この道祖神のある場所は、現在は曙地区になっていますが、かつては大室地区にある室崎(むろさき)神社の馬場先で、南方には阿見野の原野が広がっていました。

道祖神は、古い石塔の一部などとともに、県指定文化財になっている曙のグミの足元に鎮座しています。

道祖神とは、本来道路を守る神ですが、日本では「さえのかみ」と習合し、村内に邪霊悪鬼が入らぬようさえぎる神となりました。

村落の出入り口付近に男根状の石や巨人の大わらじなど、村に入ろうとする悪霊を畏怖させる目的をもった呪物が置かれ、これを道祖神と呼ぶこともあります。

旧大室の道祖神の場合には、大きなグミの木がこの役割を果たしています。

グミの木を燃やすと死人の臭いがするといわれ、死者への恐怖で悪霊に対抗しようとしたのです。

もう一つ県指定のグミの木のあるつくば市上横場の場合も、グミの木の下に中世の墓塔が多数置かれています。

神奈川県の道祖神では、やはり中世墓塔が置かれている例が報告され、旧大室の道祖神でも中世墓塔の断片が残っています。

これらは、いずれもグミの木の存在理由を考える根拠となるでしょう。

 

42 水神宮から見た霞ヶ浦

水神宮

 

【大室/名所百選No.46】霞ヶ浦湖岸

国道125号線大室バス停留所から湖岸へ約200メートルほど入ったところに水神宮の祠があります。

水神宮は、魚族の繁殖をつかさどる神といわれ、湖岸の魚師の信仰を集めています。

湖岸の舟留まりは必ず祀られており、湖全体では30有余を数えます。

堤に立って広大な湖面を眺めると、対岸にはかすみがうら市の集落が点在し、右の突端には歩崎観音(あゆみざきかんのん)の森がかすんで見えます。

さらに目を左北方に転じると、紫峰筑波山とふもとの連山、土浦市の中心街、川口町付近から手野、沖宿などの町並みが手に取るように見えます。

湖岸からの眺望は四季や、その日の天候、朝夕によって変化に富んでいます。

 

43 予科練の碑と予科練記念館

予科練の碑(二人像)

予科練の碑(二人像)

予科練記念館(雄翔館)

予科練記念館(雄翔館)

予科練平和記念館

予科練平和記念館(平成22年2月開館)

 

【新町/名所百選No.41】

予科練の碑は、全国から集められた石や木を配し、日本列島を形象した日本庭園(雄翔園)の一隅に、第二次世界大戦で戦死した約1万9千名の予科練出身者(卒業生の8割)の鎮魂と顕彰のために、昭和41年(1966)に建立され、先輩と後輩が肩を組んで日本の空を見守っている姿の像です。

通称「二人像」とも呼ばれています。

予科練とは、海軍飛行予科練習生のことで、「優秀な航空機搭乗員は英才の早期教育に俟つ」との観点から発足した制度です。

昭和5年(1930)に、小学校高等科卒業程度の14歳から16歳の少年69名が試験で選抜され、第1期生として横須賀海軍航空隊飛行予科練習部で教育がはじめられました。

昭和12年(1937)には教育期間短縮のため、「甲種飛行予科練習生(中学4年1学期終了程度の資格)」の制度ができ、これまでの制度が「乙種飛行予科練習生」に改められました。

昭和14年(1939)には、飛行予科練習部が阿見町へ移転し、「土浦海軍航空隊」として予科練教育の中心地となりました。

さらに、「丙種飛行予科練習生」・「乙種(特)飛行予科練習生」の制度も設けられました。

太平洋戦争における旧日本海軍の中核となった予科練出身の搭乗員たちは、大戦末期には多くが特別攻撃隊員となりました。

土浦海軍航空隊跡地にある陸上自衛隊武器学校の一角に建てられた予科練記念館(雄翔館)には、予科練戦没者の遺書・遺品が展示され、少年たちの想いを今に伝えています。

平成22年2月には、予科練や戦時の歴史を後世に伝える目的で、武器学校隣地に「予科練平和記念館」が新たに建設され、多くの来館者を集めています。

 

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