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霞ヶ浦の南岸に位置し、豊かな自然に恵まれた阿見町には、古代から人々が生活を営み、さまざまな歴史が重ねられてきました。阿見町の貴重な財産である文化財を保護し、永く後世に伝えるため、町では、文化財の管理、保護を行っています。

現在、阿見町には、県指定の文化財が3件、町指定文化財が19件あります。

県指定文化財

県指定文化財一覧(3件)
番号指定日名称数量指定区分所在地
1昭和52年7月18日曙のグミ1株天然記念物曙151-106
2平成5年1月25日薬師如来座像1軀有形文化財吉原2289(西光寺)
3平成6年1月26日木造阿弥陀如来立像1躯附両脇侍立像2躯3軀有形文化財追原633(蔵福寺)
曙のグミ

1 曙のグミ(曙地区)
かつては大室地区にある室崎神社の馬場先で、グミの根元には道祖神と馬頭観世音が立っています。

木造薬師如来座像

2 薬師如来座像(吉原地区 西光寺蔵)
西光寺は、桓武平氏の流れをくむ平安時代の武将鎌倉権五郎景の開基と伝えられています。この薬師如来座像はもとは中吉原にあった医王時(廃寺)のもとの伝えられ、平安末期ごろの作と推定されます。童子形で平安時代の作風を残しながらも、鎌倉時代以降に盛んになる玉眼の技法がとり入れられています。茨城県内でも早い作例の一つです。

木造阿弥陀如来立像1軀附両脇侍立像2軀(蔵福寺)

3 木造阿弥陀如来立像1軀附両脇侍立像2軀(追原地区 蔵福寺蔵)
蔵福寺は鎌倉時代の宝知2年(1248)塩断上人の開山と伝えられ、奥州伊達氏と関係が深いことでも知られています。
この仏像は、慶派の仏師有慶による鎌倉時代の作で、時の常陸国守護職小田知重の菩提を弔うために藤原時朝が建立したものと伝えられています。

町指定文化財(20件)

町指定文化財(20件)
番号町指定日名称数量指定区分所在地
1昭和50年5月28日牛久助郷一揆道標1基史跡阿見4666-738
2昭和50年5月28日塙不動尊のタブノキ1株天然記念物塙1258(不動尊境内)
3昭和52年3月22日善照寺山門1棟有形文化財若栗1301
4昭和52年3月22日阿弥神社樹叢天然記念物竹来1641
5昭和53年5月25日酒盛り唄民俗文化財大形地区
6昭和53年5月25日宮平貝塚史跡島津3601外
7昭和54年11月24日鹿島神社のやどり木1株天然記念物吉原281番1
8昭和54年11月24日宇都木家の椎1株天然記念物吉原2152
9昭和57年2月22日木造阿弥陀如来坐像1軀有形文化財追原633(蔵福寺)
10昭和57年2月22日木造十一面観音坐像1軀有形文化財塙1258
11昭和57年2月22日木造菩薩立像1軀有形文化財吉原2289(西光寺)
12昭和60年5月28日貞享二年阿見野野論裁許状1通有形文化財若栗1886番1
13昭和62年7月30日君島ひょっとこ民俗文化財君島地区
14平成13年8月24日木造阿弥陀如来坐像附両脇侍立像2軀3軀有形文化財吉原1299
15平成22年3月15日霞ヶ浦海軍航空隊有蓋掩体壕1基史跡阿見5383
16平成22年3月15日霞ヶ浦海軍航空隊跡国旗掲揚塔1基史跡中央3丁目3855番1外
(茨城大学農学部)
17平成22年3月15日霞ヶ浦海軍航空隊跡方位盤1基史跡中央3丁目3855番1外
(茨城大学農学部)
18平成22年3月15日霞ヶ浦海軍航空隊本部庁舎階段親柱1対史跡中央3丁目3855番1外
(茨城大学農学部)
19令和元年8月8日鉄斧形土製品1点有形文化財若栗1886番1
20令和元年8月8日墨書土器1点有形文化財若栗1886番1
牛久助郷一揆道標

1 牛久助郷一揆道標(阿見地区)
文化元年(1804)牛久宿問屋の麻屋によって、新しく助郷指定の願書が幕府に出されたことを受け、指定される側の信太・河内二郡55ヵ村の農民数千人が一揆を起こしました。指導者3名のうち、小池村の勇七、吉重郎は阿見の出身です。一揆の関係者はとらえられ獄死しましたが、農民たちによって打ちこわしを受けた麻屋が、供養塔を兼ねたこの道標を建てました。

塙不動尊のタブノキ

2 塙不動尊のタブノキ(塙地区)
塙地区にある不動堂境内にあるタブの大木。不動堂のご神木ともされています。別名イヌグス。

善照寺山門

3 善照寺山門(若栗)
善照寺は南北朝時代の明徳元年(1390)伝教大師法孫13世明快大僧都の弟子である良諄法印の創建で、本尊は阿弥陀如来です。山門は切妻造の四脚門で、柱根元の礎石は室町時代のものと推定されています。平成9年の解体修理で発見された墨書から、山門が立てられたのは江戸中期の享保9年(1724)であることがわかっています。

阿弥神社樹叢

4 阿弥神社樹叢(竹来地区)
阿見町内には中郷地区と竹来地区に「阿弥神社」を称する神社が2社あります。竹来地区の阿弥神社の祭神は武甕槌命ですが、普都大神とする説、豊城入彦命とする説、高来神とする説などさまざまあります。「常陸国風土記」に記された「高来里」は、この地域を指すと考えられています。
境内を囲む樹叢は、杉を主体として常緑樹が混在しており、中には樹齢350年を超すものもあります。

宮平貝塚

6 宮平貝塚(島津地区)
宮平貝塚は、霞ヶ浦を望む丘陵状にある鹿島神社の西側の畑地を中心として、6個の貝塚が馬蹄形に分布しています。阿見町内では最大級の貝塚です。

鹿島神社のやどり木

7 鹿島神社のやどり木(吉原地区)
吉原の鹿島神社は弘仁5年(814)年の創建とされ、祭神は武甕槌命です。樹齢500年以上と推定されるご神木の杉の老木の空洞にスダジイが根をおろしており、町の天然記念物に指定されています。かつてはスダジイのほかにヤマザクラやイチョウも見られたようですが、現在はその痕跡のみが残っています。

宇都木家の椎

8 宇都木家の椎(吉原地区)
推定樹齢500年を越えるシイの大木。阿見町内にはシイの巨木が多く生えていますが、その中でも宇都木家の椎は別格の貫録があります。

木造阿弥陀如来座像

9 木造阿弥陀如来座像(追原地区 蔵福寺蔵)
寄木造玉眼の技法で、平安時代末期の作と推定されます。

木造菩薩立像

11 木造菩薩立像(吉原地区 西光寺蔵)
一木造で足部を欠損しています。平安時代の作と推定されます。

君島のひょっとこ

13 君島のひょっとこ(君島地区)
昔から農村地域であった君島地区に、元治元年(1864)の夏に突如疫病が流行し、疫病退散のご利益がある天王様をお祀りするため、細田光慶という行者が尾張国から八坂神社の御神体を迎えました。その祭礼にあたり、当地の若者たちが江戸崎の地でひょっとこ、笛、太鼓を習得して披露したのが「君島のひょっとこ」のはじまりです。現在でも「君島芸能保存会」が後継者の育成に尽力しています。

霞ヶ浦海軍航空隊有蓋掩体壕

15 霞ヶ浦海軍航空隊有蓋掩体壕(阿見地区)
掩体壕とは、航空機を空襲から守るための格納庫の役割をするもので、かまぼこ型をしたコンクリート製の建造物です。この掩体壕は、阿見町に大正10年に開かれた霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場内にあったもので、戦後飛行場跡が開拓された時に、開拓者の居住として使用されていました。現在でも所有者の方が大切に守り伝えています。町内で唯一現存する掩体壕です。
※民有地内にあり、見学には許可が必要です。

霞ヶ浦海軍航空隊跡方位盤

17 霞ヶ浦海軍航空隊跡方位盤(中央地区)
霞ヶ浦海軍航空隊の本部があった一角は、現在茨城大学農学部になっています。農学部構内には、航空隊の遺産がいくつが残されており、この方位盤もその一つです。

鉄斧形土製品

19 鉄斧形土製品(吉原地区)
吉原向遺跡出土の、袋状鉄斧の形を模造した土製品です。古墳時代中期(約1600~1500年前)の作で、祭祀やまじないに使われた道具です。実物を忠実に再現するような、非常に丁寧なつくりをしています。
斧形の土製品は全国的にも類例は少なく、茨城県内では初めての出土例となりました。

墨書土器

20 墨書土器(追原地区)
小作遺跡出土の土師器の坏です。平安時代前期(約1100年前)の作で、内面に草仮名文字による墨書が施されています。書かれている内容については全体的な意味をうかがうことは難しいですが、和歌ないし長歌の一部と考えられます。
古代、中央から派遣されてきた官人が宴の席で器に歌をしたためる、そんな風景を感じさせる資料です。

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阿見町役場教育委員会生涯学習課(中央公民館)

電話: 029-888-2526 ファクス: 029-888-0032

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